アンパンマンのマーチ
俺は海に行く時
よく間食に"あんぱん"を持って行く。
"あんぱん"は、菓子パンの定番だ。
実は正真正銘日本生まれの日本育ち。
悪そうなやつはだいたい友達だ。
あんぱんが日本で最初に発売されたのは
明治7年のことで
発明したのは木村安兵衛という武士だ。
これからの日本は文明開化の時代になると考えた安兵衛は明治2年、妻のわずかな蓄えを元手にして繁華街に「文英堂」を開いた。
文英堂の「文」は妻の名前の「ぶん」
「英」は息子の名前の「英三郎」からとった。
場所もいい、店の名前もいい、商品も画期的である。
これで成功間違いなしと思ったのもつかの間、開店間もない「文英堂」は、この年の大火で、全焼してしまう。
あっという間に安兵衛一家は全てを失い、無一文となる。
それでも子や妻のために生きなければと奮起した。
安兵衛は落ち込む心を振り切り煉瓦街の裏通りに小さな店を借りた。
明治3年当時の煉瓦街は一種の倉庫街であり
人通りもまばらである。
商品を作って店頭に並べておけば売れるという立地ではない。
朝早く起きて店でパンを焼き昼間はそれを親子三人で担いで行商に歩いた。
疲れきった体で帰宅すると、夜な夜な美味しいパンを作ろうと開発に努力した。
しかし当時の日本には、まだパンを食事として食べるという習慣がない。
明治7年、安兵衛はパンの製法そのものを
ホップではなく米麹を使った和風テイストのパンにすることを思い立つ。
そして、そのパンの中に小豆あんを入れたパンを開発した。
これはパン作りに和菓子の饅頭の皮の製法を取りいれたものである。
そのためパン自体があんこの味によく合い、おいしくなる。
それはこれまで味わったことのない新しい食感で、安兵衛はこのパンに"あんぱん"と名前をつけた。
ある日、評判を聞きつけた山岡鉄舟がこの店にやってきた。
鉄舟は安兵衛の和風パン"あんぱん"にいたく感動する。
そして鉄舟は、明治天皇が水戸家へ行幸される折に、陛下にこの和洋折衷の米麹あんぱんを献上した。
明治10年、西南戦争が起こると明治新政府は、このあんぱんを陸軍の軍用食として採用した。
陸軍は木村屋から大量のパンを仕入れたのである。
軍を通じて米麹を使ったあんぱんは
またたく間に全国に普及する。
そして日本人の常識商品とまでなった。
安兵衛の店も多いに繁盛した。
それが今に続く銀座木村屋総本店である。
木村屋総本店はいまも老舗として立派に営業している。
けれど、その背景には、がんばりぬいた安兵衛の姿がある。
彼は苦労に苦労を重ねても明るさや家族への愛を忘れず、けっしてくじけたり、いじけたりしなかった。
安兵衛がそういう心がけの男だから、鉄舟が見出した。
そして陸軍が加給食として採用した。
木村屋に未来が拓けた。
海水で塩辛くなった口をあんこに癒されながら
苦しいときこそ、めげずくじけず
明るく清く、未来を信じて生きる。
それが日本人なのだと強く思う次第である。
そう考えるとアンパンマンが国民的アニメとして長年愛され続けてる理由がなんとなくわかる気がする。
俺は顔が濡れて力が出なくなる事はないが
海上がりきっと最高の"新しい顔"になってる。
よっしゃ、第2ラウンド目行くか
鼻歌を連れてパドルアウトする。
リズム良く波を掻く。
なんのために〜 生まれて〜
な〜にをして 生きるのか〜
こたえられな〜い〜なんて〜
そ〜んなのは いーやだッッッ!
愛と勇気だけ〜が友だちさ〜!