夜通し降り続いた雨が、
嘘みたいに止んだ朝。
川沿いにある藤棚から垂れ下がるフジの花の
甘い匂いと上品な紫色に見惚れていると
デカめの虫の羽音が耳の裏を通過する。
身構え、音を目で追う。
マルハナバチだ。
不意を突かれ驚く俺のことなんて気にせず
花の中に顔から潜り込んで行く。
よく観察していると
ずんぐりむっくりした体に対して
羽根は小さくとてもアンバランスな体型だ。
こんな話を思い出した。
ある時、どうしてこのような体型で飛べるか
疑問に思った科学者たちが集まり議論した。
理論上飛ぶことは不可能だ!
絶対に飛べるはずがない!
航空力学や運動力学などから導き出した結果
彼らは理屈上は飛べないらしい。
大きな体に対して羽があまりにも小さく
どう考えても飛行は不可能であると。
しかし『理論上』飛べないマルハナバチは、
そんな理論なぞ知らず空を飛び回っている。
航空技術では高度とされる、空中静止、華麗なアクロバット、次々と見事な曲芸をこなしていくではないか。
飛べないはずの体で飛んでいることに対して
"彼らが空を飛べるのは、
本当は空を飛べないことを知らないからだ"
と結論付けた。
しかし時が経ち、研究が進みマルハナバチがどのように飛ぶかが解明される事になった。
マルハナバチは当時の飛行機や鳥
また他の空飛ぶ昆虫の多くとは違い、
羽を『回転』させ『空気の粘り』を捕まえる事で飛行するという、独自の飛行方法を持っていることが解明された。
マルハナバチは小さな羽でありながら、
周りと"同じ方法"や人間の考える"不可能"の
概念にハマる事なく"自分にあった方法"で
空を飛ぶ事を可能にしていたのだ。
俺たちも"不可能"と思えることがあっても
自分に合った方法を見つけることで、
"不可能"が"可能"になる日が来るはずだ。
さりげなく、羽を広げる彼らは
不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した、臆病者の言葉だ。
それは現状に甘んじるための言い訳にすぎない。
それは事実ですらなく、単なる先入観だ。
それは誰かに決めつけられることではない。
不可能とは、可能性だ。
不可能とは、通過点だ。
不可能なんて、ありえない。
と小さな背中で多くを語り
今日も花から花へ自由に飛び回る。
向こう側コンセプト