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      海へ還ろう

      ジョギング日記③

      ジョギング日記③

      世紀の天才であり芸術家である

      レオナルド・ダ・ヴィンチは言いました。

       

      "足は人間工学上の最高傑作であり、

      最高の芸術作品である。マジで半端ねえ"と。

       

      ヒトの全身は約210個の骨で構成され、

      そのうち片足には26個の骨が使われている。

      全身の骨の約4分の1が小さな両足に集中し

      精密機械のような構造をしているのだ。

       

      にもかかわらずランニングシューズは

      "本来"の機能を妨げているような気がする。

      厚いソールが地面からの情報を遮り

      スピードが出やすいようにと

      傾斜がつけられているために

      ヒト本来の姿勢ではなく

      カカトで着地してしまいがちになり

      雑な走り方が膝の故障につながっている。

       

      そもそも俺はどこへ行くのもサンダルだ。

       

      そして我々の住むここ日本、

      温帯気候のうち温暖湿潤気候に属す。

      冬以外は基本的にジメジメしていると考えてもらっていい。

       

      草履、下駄、雪駄の国でもある。

       

      サンダルで走れないかな?

      むしろどこまでサンダルで行けるんだ?

       

      そのような考えのランナーは多くいたようで

      ビブラムソールに鼻緒を付けただけの

      『ルナサンダル』に出会った。

       

      試し履きもしっかりとしてジャストサイズ

       ソールに傾斜も付けられておらず

      何より薄いのでほぼほぼ裸足の感覚である。

      薄いためドカドカと雑に走ることはできない

      丁寧に優しく衝撃を分散させて

      ヒト本来の走り方が出来るはずだ。

       

      調べだら"ゼロドロップ"という理論らしい。

       

      便利さが本来の能力を妨げている。

       

      これは何もランニングシューズだけの話ではないが脱線しすぎてしまうので、ここまで。

       

      とりあえず、サンダルで走るよ。

      足は最高傑作だよ、芸術作品だよ

      ダ・ヴィンチのお墨付きだよって話。

      サル目ヒト科ヒト属

      サル目ヒト科ヒト属

      自然相手にサーフィンを楽しんでいながら

      人間本来の動物的な機能はどんどん退化している。

       

      人間ならば「歩く、走る、止まる、跳ぶ」というのは本来備わっているべき運動性能のはず。

      子どもたちは何も考えずにそれができるし

      日常でそうする機会とたくさん出くわす。

       

      だが人間は大人になるほど、

      そういった行為が日常において当たり前ではなくなっていってしまう。

       

      ちょっとした距離でも車に乗り、

      ずっと机に座って、走らず、歩かず

      階段の昇り降りさえ面倒になり

      どんどん便利なものに囲まれて

      それに比例するように人間本来の機能を衰えさせている。

       

      浮力を借りてパドリングはできるし、

      ボードの上に立って波を滑れるが

      より原始的な運動能力は衰えるばかりだ。

       

      しかも、3月後半に俺は腰を痛めていて

      海に入れない日が3週間も続いた。

       

      来たるべくして来た挑戦だな

      問題を問題のままにして置いてはダメだ。

      問題を放置すると不安に変わる

      不安は不満にかわり、

      不満は心を濁らせる、視野が曇る。

       

      "問題""課題"と捉えた瞬間

      "問題"の正しい大きさを理解する。

       

      ずっと健康的であり続けたいし、

      本来の運動能力を取り戻したい。

       

      体力の低下を年齢のせいにしていいのは

      やれることをやっている人だけだ。

       

      いつでも全力で遊んでる俺と、

      腰が痛くて海に入れないと嘆いている俺なら

      全力の俺の方が魅力的に違いないしな。

       

      2週間歩いてみて実感した。

      さあ、皆も歩き出そうぜ

      魅力的に生きるため

      ヒトに戻るために。

      登山

      登山

      サーフィンと登山

      海と山

      対極の様で大きな一つの様にふと感じた。

       

      個が自然と向き合う行為

      定められたサイズや

      特定のルールも人工的な競技環境も無い

      そもそも競い合う事が前提とされていない行為こそ

       

      自分の内側や生き方に対する美学を磨き

      同時に人生に間接的にリンクするんじゃないか

       

      波は動く小さな山の連続の様に思え、

      山は動かない大きな波の様に思った。

       

      ただ眺めて圧倒されるのではなく

      その中で何かを表現できる。

       

      物言わぬ霧のように漂ってくる退屈から逃れ

      暇と自由をどう飾るか、

      そのヒントがどちらにもある。

      ふじこ

      ふじこ

      なんとなく思いつきで

      おばあちゃんと散歩

       

      幼い頃は小さな俺を自転車の後ろに乗せて

      町中を転がしていた、おばあちゃんと散歩

       

      歩くのは遅いし、歩幅も狭い。

      右手にはトランスフォームするお気に入りの杖を握りしめる、80過ぎのふじこと散歩

       

      いつのまにか小さくなったな

      俺がデカくなったのかな

       

      俺のあげた帽子をかぶって

      鼻歌を歌いながら

      つかつかとどこまでも歩く。

       

      ばあちゃん、なんで毎日こんなに歩くの?

       

      『錆びるがら、歩ぐのをやめだら歩ぐの忘せで、歩げなぐなっぺや』

       

      ネイティヴな東北弁で俺に応える。

       

      なるほど、説得力よ。

       

      目を離すとふじこは

      ゴミ捨て場のカラスと杖で戦っていた。

       

      かわいいばあちゃんだ。

       

      たまにまた散歩しよ。

      ジョギング日記②

      ジョギングの為の散歩のはずが

      散歩が好きになってしまった。

       

      人間本来の移動速度だからだろうか

      脳みそに入ってくる情報がやさしい。

      朝のひんやりした空気は気持ちがいいし

      まだ、町が眠っているのでノイズが少ない。

       

      普段見落としていた季節の流れも感じる。

      日の出も徐々に早くなり

      昨日の蕾が咲いていたり

      咲いていた花が枯れていたり

      桜は徐々に葉桜になり

      名も知らぬ虫が飛んでいたり

      空き家の玄関先にツバメが巣を作っていたり

      ハト、カラス、スズメ、それぞれが

      新しい朝を喜び声を上げている。

       

      お前ら全員どこに隠れていたんだよ?

      ってくらいに季節が加速して行く。

       

      いや、あちら側からすれば

       

      "お前こそどこにいたんだよ?"

       

      "季節の中におかえりなさい、

      一緒に真新しい今日を祝おうぜ"

       

      "このバカタレが!"

       

      って事なのだろうか。

       

      俺は今までどこに行ってたんだろう、

      同じ場所にいながら。

       

      何でも速い方が良いとされている現代

      移動も情報も仕事も出会いも何もかもがだ。

       

      時にはこうやって意図的に速度を落として

      本来の時間の流れに身を委ねることで

      いつの間にか忘れてしまっていた感覚を

      肩の力を抜いて取り戻すキッカケになるんじゃないかな。

       

      要するに散歩も必要だ。

       

      今のところ

      サーフィン の為のジョギングの為の散歩だ

      今週も月〜金はお散歩だ

      来週からいよいよ走り出す。

      マスク2枚より板1枚

      マスク2枚より板1枚

      顔を半分隠した社会では

      表情で感情を相手に伝える力も半分になるし

      表情から相手の感情を読み取る力も半分になってしまう。

       

      結果、上辺だけのコミュニケーションとなり

      心と心のつながりが希薄になってしまう。

       

      人は心を繋いで助けあうもの

      これは人類にとって危機的といえることだ。

       

      しかし、海ではどうだろうか

      マスクなんて外して生まれたまんまの笑顔だ。

       

      これからはサーファーに有利な時代なんじゃないか?

       

      いや、時代にサーフィンが必要なはずだ。