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      合計

      海へ還ろう

      海に洗われる。

      海に洗われる。

      日本の鬱病の患者は100万人とも言われ

      毎年、2万5千人以上が自殺をしてしまう。

      東日本大地震の犠牲者が約2万人。

       

      食べ物があり、睡眠が取れ、

      安全が確保されたこの国でなぜ

      あの震災以上の自殺者がいるのだろうか。

       

      1番大切にするべき自分の命の価値を

      どうして自ら手放してしまうのだろうか。

       

      あなたはあなたのままで価値があるし

      心地がいいなら、そのままでいい。

       

      他人と比べて苦しくなるな

      誰にも脅かされるな

      目先の不安や不満を凝視しすぎるな

      遠くを見るため、世界の広さを確認するために海へ行こう。

       

      ストレスが心の汚れやくすみだとしたら

      海はそれを落としてくれる。

       

      そもそも水に溶けない汚れなんて無いはず。

       

      2度ないこの日を生きてやれ

      そう思えば気持ちも満ちて晴れ。

      みぃいー!

      みぃいー!

      ゔぉん゛!

       

      塀の上から犬が吠える

       

      ヴォンッッッ!

       

      俺も返す

       

      あ゛あ゛ぁ゛あ゛ー!

       

      ゴミ捨て場のカラスが鳴く

       

      ア゛ァー!

       

      俺も返す

       

      ニャァー!

       

      今度は俺から挨拶

       

      野良猫が振り返る

       

      みぃいー!!!

       

      そうか、みぃいー!か発見だ。

       

      朝から脳みそに新鮮な情報が入る

       

      野良猫がツツジの根元に逃げ身を隠す

       

      真っ赤な花の中から

      青と黄色のオッドアイがこちらを伺う。

       

      たくさんの音、たくさんの色

      ジョギングは楽しいぞ。

       

      それと、ただいま公園のツツジが見頃です!

      現場からは以上でーす!

      単位

      単位

      波に乗るのではなく

      波にバレないように、波を装う。

       

      全身全霊で波のふりをする

      遥か遠くから旅をして来た波を

      歓迎するこの小さな体で

       

      すると、いつの間にか波になる

      錯覚かもと自覚しているがそのままにしとく

      大きな海の一部になる。

       

      今まで180センチにも満たない俺の体が

      そのほんの数秒膨張する宇宙を担う

      70キロ程の体が宙に浮き風になる

       

      センチ、秒、キログラム

      全ての単位や数字が無意味だと悟る。

       

      でも幸せってそういうものでしょう

       

      その時、表情がどうなっているかまでは

      意識していないが

      時差なしの感動、ピュアな喜びに

      心はわずかにニヤけている。

       

      HFB サーフボード

      ジョギング日記③

      ジョギング日記③

      世紀の天才であり芸術家である

      レオナルド・ダ・ヴィンチは言いました。

       

      "足は人間工学上の最高傑作であり、

      最高の芸術作品である。マジで半端ねえ"と。

       

      ヒトの全身は約210個の骨で構成され、

      そのうち片足には26個の骨が使われている。

      全身の骨の約4分の1が小さな両足に集中し

      精密機械のような構造をしているのだ。

       

      にもかかわらずランニングシューズは

      "本来"の機能を妨げているような気がする。

      厚いソールが地面からの情報を遮り

      スピードが出やすいようにと

      傾斜がつけられているために

      ヒト本来の姿勢ではなく

      カカトで着地してしまいがちになり

      雑な走り方が膝の故障につながっている。

       

      そもそも俺はどこへ行くのもサンダルだ。

       

      そして我々の住むここ日本、

      温帯気候のうち温暖湿潤気候に属す。

      冬以外は基本的にジメジメしていると考えてもらっていい。

       

      草履、下駄、雪駄の国でもある。

       

      サンダルで走れないかな?

      むしろどこまでサンダルで行けるんだ?

       

      そのような考えのランナーは多くいたようで

      ビブラムソールに鼻緒を付けただけの

      『ルナサンダル』に出会った。

       

      試し履きもしっかりとしてジャストサイズ

       ソールに傾斜も付けられておらず

      何より薄いのでほぼほぼ裸足の感覚である。

      薄いためドカドカと雑に走ることはできない

      丁寧に優しく衝撃を分散させて

      ヒト本来の走り方が出来るはずだ。

       

      調べだら"ゼロドロップ"という理論らしい。

       

      便利さが本来の能力を妨げている。

       

      これは何もランニングシューズだけの話ではないが脱線しすぎてしまうので、ここまで。

       

      とりあえず、サンダルで走るよ。

      足は最高傑作だよ、芸術作品だよ

      ダ・ヴィンチのお墨付きだよって話。

      サル目ヒト科ヒト属

      サル目ヒト科ヒト属

      自然相手にサーフィンを楽しんでいながら

      人間本来の動物的な機能はどんどん退化している。

       

      人間ならば「歩く、走る、止まる、跳ぶ」というのは本来備わっているべき運動性能のはず。

      子どもたちは何も考えずにそれができるし

      日常でそうする機会とたくさん出くわす。

       

      だが人間は大人になるほど、

      そういった行為が日常において当たり前ではなくなっていってしまう。

       

      ちょっとした距離でも車に乗り、

      ずっと机に座って、走らず、歩かず

      階段の昇り降りさえ面倒になり

      どんどん便利なものに囲まれて

      それに比例するように人間本来の機能を衰えさせている。

       

      浮力を借りてパドリングはできるし、

      ボードの上に立って波を滑れるが

      より原始的な運動能力は衰えるばかりだ。

       

      しかも、3月後半に俺は腰を痛めていて

      海に入れない日が3週間も続いた。

       

      来たるべくして来た挑戦だな

      問題を問題のままにして置いてはダメだ。

      問題を放置すると不安に変わる

      不安は不満にかわり、

      不満は心を濁らせる、視野が曇る。

       

      "問題""課題"と捉えた瞬間

      "問題"の正しい大きさを理解する。

       

      ずっと健康的であり続けたいし、

      本来の運動能力を取り戻したい。

       

      体力の低下を年齢のせいにしていいのは

      やれることをやっている人だけだ。

       

      いつでも全力で遊んでる俺と、

      腰が痛くて海に入れないと嘆いている俺なら

      全力の俺の方が魅力的に違いないしな。

       

      2週間歩いてみて実感した。

      さあ、皆も歩き出そうぜ

      魅力的に生きるため

      ヒトに戻るために。

      登山

      登山

      サーフィンと登山

      海と山

      対極の様で大きな一つの様にふと感じた。

       

      個が自然と向き合う行為

      定められたサイズや

      特定のルールも人工的な競技環境も無い

      そもそも競い合う事が前提とされていない行為こそ

       

      自分の内側や生き方に対する美学を磨き

      同時に人生に間接的にリンクするんじゃないか

       

      波は動く小さな山の連続の様に思え、

      山は動かない大きな波の様に思った。

       

      ただ眺めて圧倒されるのではなく

      その中で何かを表現できる。

       

      物言わぬ霧のように漂ってくる退屈から逃れ

      暇と自由をどう飾るか、

      そのヒントがどちらにもある。