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      合計

      海へ還ろう

      "運" "動"

      "運" "動"

       

      "運を動かす"と書いて"運動"

       

      サーフィンに夢中になればなるほど

      運が良くなるように感じる。

       

      なぜならば、サーファーは

      朝早くから起き自分の""を動かしているからだ。

       

      不運だ。

      ついていない!

      退屈だ。

      つまらない!

      どうせ、俺なんて…。

       

      というやつは総じて運動が足りていない

      運動をしていないが故に

      不運の中に留まり続けている。

       

      サーフィンじゃなくてもいい。

      軽い運動

      お散歩、ジョギング、サイクリング

      ラジオ体操、ヨガ、ストレッチなど

      思いつく運動を日々に取り入れ

       

      運を動かし、不運から抜け出して

       いい運を回そう。


      だまされたと思って試してほしい、

      やればわかるはずだから。

      円だの、ドルだの、ユーロだの、ウルセーヨ。

      円だの、ドルだの、ユーロだの、ウルセーヨ。

      美しさは買えない

      安心も買えない

      健康も買えないし

      知恵も買えない、感動だってそうだ。

       

      太陽も海もお金じゃ買えない。

       

      なのにどうして

      稼ぐことに疲れ心身消耗してんだっけ?

       

      お金で買えるものばかりに囲まれすぎて

      値段のつかないものの価値を忘れてないか?

       

      お金じゃ買えないものは

      なかなか手に入らない。

       

      自分を磨き続けることで

      生まれてくるものだから。

      いのち短し、恋せよ少女

      いのち短し、恋せよ少女

      『ゴンドラの唄』という大正時代(1915年)に作られた歌がある。

       

      この歌の出だしが、『いのち短し 恋せよ少女(おとめ)』だ。

       

      1915年といえば、もう100年以上も前の歌だとういことになるがその歌の歌詞が今でも語り継がれているというのは凄いことだ。

       

      その歌詞がこれだ。

       

      いのち短し 恋せよ少女
      朱き唇 褪せぬ間に
      熱き血潮の 冷えぬ間に
      明日の月日の ないものを

       

      いのち短し 恋せよ少女

      黒髪の色 褪せぬ間に
      心のほのお 消えぬ間に
      今日はふたたび 来ぬものを

       

      を少女ではない俺は意味をこう変換する。

       

      人生は短い たくさん経験しろ

      情熱が冷めぬうちに

      明日なんてあてにならないから

       

      人生は短い 好奇心に逆らうな

      今日より若い日はないよ

      初期衝動のままに

      だって今日は今日しかないよ?と。

       

      いかんせん

      我々も100年先には存在していない。

       

      たくさんの経験やまだ見ぬ景色に

      少女の様に恋をしていたい。

       

      いのち短し 恋せよ少女
      朱き唇 褪せぬ間に!

      日曜日、海上がり。

      日曜日、海上がり。

      海上がりに友だちが俺に言う。

       

      んあー楽しかった、最高

      ストレス発散にもなった。

       

      でも明日からまた現実が始まる

      憂鬱だあ〜!!!

       

      ん?

       

      センスがないと思う

       

      楽しくない方を現実と呼ぶから

       

      現実がつまらなくなるんじゃないか?

       

      それじゃ現実に失礼だろ。

       

      俺ら一生、現実しか知れないのに

       

      言葉のチョイスに気をつけろ。

       

      そんな俺も月曜日を好きになり始めたのは

      お散歩やジョギング、サイクリングが生活に入ってからかもしれない。

       

      平日にバリエーションをつけることで

      常にフレッシュでいられる。

       

      そもそも常にフレッシュでいれたら

      リフレッシュする必要もないし

      ストレスを溜めない生活ができれば

      ストレス発散なんてしなくていいからな。

       

      日月火水木金土と

      全部の日を好きになれたらいいね

       

      友よ、フレッシュであれ。

      きっと、人生なんて一瞬だぜ。

       

      バック・トゥ・ザ・フューチャー

      夕食後なんとなく気分で

      自転車に乗り懐かしい道を辿る。

       

      電車通学だった俺が

      あの頃自転車で通った最寄駅までの道だ。

       

      風はぬるく

      田んぼに囲まれているので

      カエルの鳴き声が脳に直接響いてくる。

       

      踏切の音が遠くから聞こえ、

      水鏡になった田んぼの暗闇の上を

      光る電車の輪郭だけが

      ガタンゴトンと滑って行く。

       

      ペダルを漕ぐのをやめて見送る

      気持ちは16歳にタイムスリップしていた。

      バイクの免許を取ってからは

      よく皆んなで海に行ったな。

       

      アイツら今どこで何してんのかな?

       

      ふと見上げると1番星

       

      なんとも言えない気持ちになり

       

      立ち漕ぎ、速度をあげる。

       

      息を深く吸うと

      どこからかカレーの匂いがした。

       

      今度会えたら海に連れて行こうと思った。

       

      俺たちは未来こそ懐かしいものにしなければならない。 

      浮かれたあの頃を思い出す。 

      アンパンマンのマーチ

      アンパンマンのマーチ

      俺は海に行く時

      よく間食に"あんぱん"を持って行く。

       

      "あんぱん"は、菓子パンの定番だ。

      実は正真正銘日本生まれの日本育ち。

      悪そうなやつはだいたい友達だ。

       

      あんぱんが日本で最初に発売されたのは

       明治7年のことで

      発明したのは木村安兵衛という武士だ。

       

      これからの日本は文明開化の時代になると考えた安兵衛は明治2年、妻のわずかな蓄えを元手にして繁華街に「文英堂」を開いた。

      文英堂の「文」は妻の名前の「ぶん」

      「英」は息子の名前の「英三郎」からとった。

       

      場所もいい、店の名前もいい、商品も画期的である。

      これで成功間違いなしと思ったのもつかの間、開店間もない「文英堂」は、この年の大火で、全焼してしまう。

      あっという間に安兵衛一家は全てを失い、無一文となる。

      それでも子や妻のために生きなければと奮起した。

      安兵衛は落ち込む心を振り切り煉瓦街の裏通りに小さな店を借りた。

       

      明治3年当時の煉瓦街は一種の倉庫街であり

      人通りもまばらである。

      商品を作って店頭に並べておけば売れるという立地ではない。

      朝早く起きて店でパンを焼き昼間はそれを親子三人で担いで行商に歩いた。

      疲れきった体で帰宅すると、夜な夜な美味しいパンを作ろうと開発に努力した。

       

      しかし当時の日本には、まだパンを食事として食べるという習慣がない。

       

      明治7年、安兵衛はパンの製法そのものを

      ホップではなく米麹を使った和風テイストのパンにすることを思い立つ。

      そして、そのパンの中に小豆あんを入れたパンを開発した。

      これはパン作りに和菓子の饅頭の皮の製法を取りいれたものである。

      そのためパン自体があんこの味によく合い、おいしくなる。

      それはこれまで味わったことのない新しい食感で、安兵衛はこのパンに"あんぱん"と名前をつけた。

       

      ある日、評判を聞きつけた山岡鉄舟がこの店にやってきた。

      鉄舟は安兵衛の和風パン"あんぱん"にいたく感動する。

      そして鉄舟は、明治天皇が水戸家へ行幸される折に、陛下にこの和洋折衷の米麹あんぱんを献上した。

       

      明治10年、西南戦争が起こると明治新政府は、このあんぱんを陸軍の軍用食として採用した。

      陸軍は木村屋から大量のパンを仕入れたのである。

      軍を通じて米麹を使ったあんぱんは

      またたく間に全国に普及する。

      そして日本人の常識商品とまでなった。

       

      安兵衛の店も多いに繁盛した。

      それが今に続く銀座木村屋総本店である。

       

      木村屋総本店はいまも老舗として立派に営業している。

      けれど、その背景には、がんばりぬいた安兵衛の姿がある。

      彼は苦労に苦労を重ねても明るさや家族への愛を忘れず、けっしてくじけたり、いじけたりしなかった。

      安兵衛がそういう心がけの男だから、鉄舟が見出した。

      そして陸軍が加給食として採用した。

      木村屋に未来が拓けた。

       

      海水で塩辛くなった口をあんこに癒されながら

      苦しいときこそ、めげずくじけず

      明るく清く、未来を信じて生きる。

      それが日本人なのだと強く思う次第である。

       

      そう考えるとアンパンマンが国民的アニメとして長年愛され続けてる理由がなんとなくわかる気がする。 

       

      俺は顔が濡れて力が出なくなる事はないが

      海上がりきっと最高の"新しい顔"になってる。

       

      よっしゃ、第2ラウンド目行くか

      鼻歌を連れてパドルアウトする。

      リズム良く波を掻く。

       

      なんのために〜 生まれて〜
      な〜にをして 生きるのか〜
      こたえられな〜い〜なんて〜
      そ〜んなのは いーやだッッッ!

      愛と勇気だけ〜が友だちさ〜!